新たなるビジョンが見えてきた!
今日は3月3日、
世間ではひな祭りの日ですが、
我が家の3月3日は
祖母の命日。
私はおばあちゃん子でした。
両親とも理容師で
共働きだったので
私は祖父祖母に
面倒を見てもらいました。
今回のブログは
そんな祖母との思い出を
書こうかと思います。
祖母も理容師でした。
↓↓↓
↑↑↑
ちなみに写真の向かって
一番左が私の曾祖父
(ひいおじいちゃん)
左から2番目が
私の祖父。
全員理容師。
私は小さいころから
ずっとそばにいてくれた祖母に、
幼稚園や学校から帰って来ると
日々の出来事を話すのが日課でした。
今にして思うと・・・、
その話の中で
祖母に褒められるのが
心地良かったのでしょう。
祖母はいつも
『大したもんだ(たいしたもんだ)』
と言うのが口ぐせでした。
私が幼稚園に通っていたころ
『おばあさん!
オレが運動会で一番になったら
大したもんだ?』
小学校に通っていたころ、
『今度の相撲の大会で勝ったら
大したもんだ?』
いつも
『たかひこは大したもんだ!』
と言われるのを待っていました。
このような祖母との思い出は
たくさんありますが
その中で今日は一つ書こうと思います。
それは私が中学生の時のことです。
中学1年生のころの私は
180人中、上から30番くらい。
しかし!
中学2年生の終わりの頃には
100番くらいまで順位を落としていた。
勉強をしなかったわけではないですが
全然出来ませんでした。
そんな時に一通のDMが届きました。
そにDMとは
教材の販売の手紙でした。
(ちなみに進研ゼミではありません)
中を開けて読んでみると
なんだか良さそうだな~
と感じました。
理屈ではなく
私の『勘』がそう感じたのです。
それまで2つの塾に
通っていたのですが、
思うような結果が出せていませんでした。
そんな私はさっそく母に相談して
『この教材をやらしてほしい!』
とお願いしましたが
結果はNG!
理由は
↓↓↓
『お姉ちゃんのがあるでしょ!』
↑↑↑
私には3つ上に姉がいるですが
その姉の使った教材を使えば良い!
と言うのです。
もちろん最初は私も
その言葉に従って勉強したのですが
思うように進まない・・・。
とにかく
使いにくかったんですよね(>_<)
母からすれば
高い教材だったようで
二人目の私にまで使わせれば
元が取れるだろう!
ということだったのかもしれません。
そんなことを思っていた
タイミングだったので
使いにくいのがイヤだった私は
その教材の案内を見せて
なんとかやらせてほしい!
と、お願いしたわけです。
でも、ダメでした。
『塾に行っているでしょ!』
と言われました。
当時、
私が行っていた塾は
少人数の塾でしたが
私のまわりは
全員レベルが高い人たちでした。
その中でやっていると
その時は分かったつもりで
いるのですが、
いざやろうとすると
完全に理解できていないせいで
思うような結果が
出ていなかったのです。
そんなことを感じていたからこそ
自分一人で取り組むことが出来る
教材であれば
ペースは遅いかもしれないが
自分のペースで確実に
理解していけるのでは?
そう思ったのです。
しかし、
私の意見は却下され
この時はこれで終わりました。
多分、
私が塾に行きたくないから
言ったと思ったのでしょう。
そうして月日は流れ
中学3年生の9月。
自分が憧れていた先輩が
いる高校に行きたい!
そう思った私は
そこを志望校に決めました。
学校見学にも行き
野球部でプレーするその先輩が
メチャクチャかっこ良く
見えました。
『絶対にオレはこの学校に入って
ここでプレーをするぞ!』
そう自分の心に決めた私は
もう一度母にお願いをしました。
でも、ダメでした。
ちなみに・・・、
この時の
模擬試験の結果は
志望校の合格率は
30%以下。
中3の夏で30%以下は
絶望ですね(>_<)
しかし!
絶対に悔いを残さない!
ということを
信条にしている私は
あきらめません。
ここで初めて
祖母にこれまでの
事情を話しました。
すると祖母は
『よし!おばあさんから
お父さんに言ってあげるから!!』
そう言ってくれました。
おかげで
私はその教材を手に入れました。
私はは今でもこの日を
忘れていません。
その教材を手に入れた日は
11月23日。
勤労感謝の日でした。
朝からやり始めた私は
メチャクチャ分かりやすい
その教材のおかげで
1日に10時間以上
取り組みました。
すると
年末の模擬試験で
志望校の合格率が
50%になりました。
『やっぱりオレの勘は
正しかった!』
そう確信した私は
その後ものめり込むように取り組み、
2月上旬の模擬試験で志望校合格率
80%を超えました。
そうして15歳の春、
桜が咲きました。
あの時
祖母の後押しがなかったら
今の私はない。
本当に祖母は
私をかわいがってくれました。
祖母が亡くなって
15年が経ちます。
そんな15年前の3月3日の日、
私は都内にある
妻の実家にいました。
東京で仕事の修行生活を終えた私は
今から16年前に
実家である茨城の両親が
経営するお店で働き始めました。
が・・・、
私が働き始めたところで
いきなりお客さまが増えるわけはなく
私が担当するお客さまは
毎日ゼロ。。
ちょうどこのころ
結婚をした私は
このままでは家族を養えない!
経営の勉強をしよう!
そう思って15年前の3月3日の日は
経営セミナーを受けるために
前泊していたのでした。
そんなセミナー当日の朝、
母から電話がありました。
携帯画面に”お母さん”と
映し出されたのを見て
一瞬で何かあったな!
そう感じて
電話に出ました。
母
『おばあさんが危ない!』
入院先の病院から
電話を受けたようでした。
両親はすぐに病院に
向かいましたが
まもなくして
母から電話があり
祖母が亡くなったと聞きました。
私はすぐに東京から
茨城に帰る準備をしていると
今度は父から
電話がありました。
父
『セミナーを受けて来なさい。』
そう、たった一言だけ
言われました。
私はその言葉に従い
セミナーを受けて
深夜に帰宅しました。
祖母の横たわった姿に
子どものころからの想い出が
一気にあふれ出してきました。
そんなことを思い出しながら
今日、仕事をしていました。
命日なのにお墓参りは
行けなかったので
明日、行って来ようと思います。
15年前に祖母が亡くなったころ、
お客さまがいなくて
将来に不安を感じていましたが
『目標』だけはありました。
その目標は
最高の技術と
最高の器材と
最高の空間で
最高のお客さまをお迎えする
お店をつくるぞ!
というものでした。
44歳になった現在、
あのとき思い描いた状態には
ある程度近づいてきました。
そして新たな夢が出来ました。
それが・・・、
『息子から憧れられる理容師』を作る!
ということです。
パパさん理容師が
自分の子どもに胸を張って
自分の仕事を誇れるような人を
応援する仕事をするのが
私の新たなるビジョンです。
それでは、また明日。