祖父からもらった封筒。

 



今日は8月13日。





8月13日といえば
『迎え火』ですね。









そんなお盆を迎えて
今日のブログは祖父母のお話。






今から12年前に亡くなった
祖父母。



共働きの両親の代わりに
私をいつもかわいがってくれました。





そんな祖父母のお墓参りに
行きました。



お墓には
亡くなった祖父、祖母以外にも

曾祖父、曾祖母が
眠っていいます。







全員、理容師でした。







曾祖父母の頃の時代のお店。

↓↓↓

 

一番左が曾祖父
左から二番目が祖父

右から二番目は祖母






今日のブログは
そんな祖父母を思い出しながら
書こうと思います。


祖父はホントに
亡くなる朝まで元気な人でした。






亡くなる当日の日でさえ
病院に向かう車の中で

「早く病院に連れていけぇー!

早く連れていかないと
死んじまうぞー!!」


って大声で怒鳴っていたくらい・・・。







病院に連れて行った
その日のうちに亡くなりました。






祖父も理容師で
若いころは東京の浅草で
修行していたそうです。



祖父は孫である私を
とってもかわいがってくれました。





私が小さい頃
何かイベントがあると、

カメラを片手に
一緒についてまわるほど。


おかげで祖父に撮ってもらった
写真が今でもたくさん残っています。







私が高校3年の時、
ずっとやっていた野球を引退して

大学に進むか、理容の道に進むかを
悩んだ末、
理容の道に進むと決めました。







次の日

「おじいさん!

オレ理容の仕事やることにしたよ。」

と伝えると
それはそれは喜んでくれました。







でも、一つだけ
隠していることが・・・。



それは

「東京の専門学校に行くこと」




当時、

私が住んでいる所から
通える専門学校は

いわきの専門学校か
水戸の専門学校。






でも、




どうせやるなら

東京でやるぞ!

という考えから
都内の学校を受験しました。







間もなくして
合格通知が届きました。




私はその合格通知を持って
祖父の部屋のドアを開けました。


「おじいさん・・・、

これ・・・。」

と見せました。







祖父

「東京の学校に行くのか・・・?

たかひこは
おじいさんに言ったか?」
と聞かれました。




私は黙って部屋を出ました。




ずっとかわいがってくれたおじいさんに
家を離れるとは言えませんでした。



そんなことがありながらも
東京に出発する日が近づいて来ました。



いよいよ明日
出発するという夜、

私は祖父に呼ばれました。



祖父の部屋に入ると

「これは
おじいさんとおばあさんから。」

と言われ、

封筒を渡されました。


↓↓↓

 






その封筒には

「身体を大切にすること

 よく食べて 

よく眠ること」

祖父の字で大きく書いてありました。



中には2万円が入っていました。




初めての都会生活、
初めての一人暮らし、
食生活など

それらのすべてを
心配してくれている
という気持ちを感じました。






今にして思えば、
祖父自身も15歳の時、

一人で東京に修行に行った時のことを
考えていたのかも知れません。





次の日私はそれを握り

スーパーひたちに乗りました。




上野の駅に降り

「オレはホントに
東京に住むんだな・・・」

と、期待よりも不安の方が
圧倒的に大きかったのを
今でもはっきり覚えています。






そして

どうしても仕事がイヤになったら
このお金で実家へ帰ろうと思いました。


上野駅に降り立った私は
乗り換える山手線乗り場に
向かいました。



自分の歩くスピードと
まわりの人の歩くスピードの
違いに驚きました。





私は負けじと早く歩きました。


同じように早く歩くことで
田舎者に見られないような
気がしたからです。






どうしてもイヤになったら
あのお金で家に帰ろう!

そんな不安もありながら学校に通い、
修行先のお店に入り生活をしていました。






お盆休みやお正月の帰省で
実家に帰ってきた時は、

祖父と決まって会話をしました。




「お店はどうだ?

たかひこは今は
どんな仕事をやっているんだ?」

と聞かれました。



私が

「今はシャンプーの
練習をしているんだ。」

と言うと、



祖父は

「シャンプーは基本だから
しっかり覚えなくちゃな。」

と言いながら、

「どれ、
おじいさんの頭を洗ってみるか?」



と、お店で練習に付き合ってくれました。



「たかひこが修業から帰ってくるまでは
なんとしても生きているからな!」

そう、言っていた祖父。



その時の年齢は80歳。



その後も

「おじいさん、オレ今
お顔そりの練習をしているんだ!」

「おじいさん、オレ
カットに入らして
もらえるようになったよ!」

「おじいさんオレ今度、
店長になったよ!」

と、

帰って来る度に報告していました。






そんな事を繰り返していくうちに
やがて修行生活も終わり
10年ぶりに実家に帰りました。





祖父は

「ほんと~に良くやった!」

と、それはそれは褒めてくれました。




その後、
何度か祖父の髪をカットをしました。



オレが帰って来てから
1年が過ぎた頃
90歳で亡くなりました。






祖父が今の私を見たら
どう思うのかな?



そんなことを思いながら
お盆を迎えます。




 

実はあの封筒を手にして
一度だけ東京駅へ向かったことが
ありました。



当時、

東京駅からいわき勿来まで
高速バスが走っていました。



そのバス乗り場に
向かったことがあったのです。



このままバスに乗って
茨城にもどったら
楽だろうな・・・。



そんな風に思いました。



私が理容の修業の弟子入り前に
父は私にこう言いました。


↓↓↓

嫌なことから逃げたら
その嫌なことは
倍になって襲ってくる。

でも

その嫌なことに
向かっていったならば

その嫌なことは
半分になるだろう。

↑↑↑




この言葉を思い出しながら
バスが出発するのを
何本も見送りました。






『キツイけど
まだ、オレは限界じゃない!



オレは、まだやれるはず!

まだここが限界じゃない。


こんなところでダメになったら
将来、自分のお店なんか
やれるはずがない!』





そう、自分を奮い立たせました。




あれから22年・・・。



何度も何度も向かっていきました。

何度も何度も踏みとどまってきました。



そのおかげで・・・。




今、たくさんのお客さまに
出逢うことができました。




これからももっと頑張ろう!



それでは、また明日。



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