親父の背中〜最終回

前回の記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親父の背中〜その9

 

 

 

 

 

1月12日

 

 

 

 

 

朝早く目が覚めた。

 

 

いよいよケジメの日。
今日は父の告別式だ。

 

 

 

お骨を持って葬祭場に向かう。

 

 

 

会場に着くと
「佐藤一美 告別式」の看板があった。

 

 

 

見たくなかった看板だった。

 

 

 

 

葬祭場の中に入ると
父の好きな服とゴルフクラブが
きれいに飾ってあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父の好きなゴルフウェアに
ゴルフシューズ。

 

 

 

父が長年、
愛用したゴルフクラブ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして父との思い出の写真

 

 

 

 

 

式場に到着後
すぐに打ち合わせが始まる。

 

 

 

 

その間にも会葬者が
続々と来てくださる

 

 

 

 

父がお世話になった
お一人お一人に感謝の言葉を伝えた。

 

 

 

 

父が言えなかった分も
感謝の気持ちを伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

どの方も父との別れを
惜しんでくださっていた。

 

 

 

 

懐かしい方にも会えて
父との思い出の話を聞かせていただいた。

 

 

 

 

いよいよ式が始まる。。。

 

 

 

 

告別式

 

 

 

 

 

 

 

父の告別式が始まった。

 

 

喪主としての初めての式。

 

 

 

 

父の遺影を見ながら
始まった。

 

 

 

 

司会の方が生前の父のことを
話始める。

 

 

 

その中の話で・・・、

 

 

 

”ゴルフを始めてからは
子どもと一緒に回るのが楽しみだと
周りの友だちに話していた”

 

 

 

という言葉があった。

 

 

 

 

父がゴルフを始めてから
オレも何度か一緒にラウンドをすることがあった。

 

 

オレが東京に行ってからも
年に2回の帰省であるお正月とお盆には
一緒にゴルフをしていた。

 

 

 

 

 

その後、オレも結婚をした。

 

 

 

 

結婚をした頃は、お金がなくて
とてもではないが
ゴルフをやる余裕なんてなかった。

 

 

 

 

やりたいな〜
と思いながらも

 

 

お金がないので
ゴルフのことは考えないようにしていた。

 

 

 

 

 

父もそれを分かっていて
オレを誘おうとはしなかった。

 

 

 

ただ、一緒のお店で働いている時に
父がお客さまから

 

「息子さんはゴルフはやらないの?」
と聞かれると決まって父は

「今は仕事の勉強で忙しいみたいなんだわ。
息子もやれば上手いから
やると良いんだけどね〜。」

 

 

と言っていた。

 

 

 

 

本当は、
もう一度オレとやりたかったのかもな。。。

 

 

 

 

 

 

そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

お坊さんがお経を読みながら
式は着実に進行をしていく。

 

 

 

 

 

喪主としてのあいさつが
近づいてくる。

 

 

 

 

 

この時のために何度も練習をした。

 

 

 

 

練習と言っても
滑らかに話せるための練習ではなく、

泣かないで最後まで話せるかの
練習だ。

 

 

 

 

練習では一度も出来ていない。

 

 

 

人前で泣くわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

父の遺影を見上げる。

 

 

 

 

「たかひこなら大丈夫だよ!」
と父が言っている気がした。

 

 

 

そしてついに司会者が
「親族代表あいさつ」の言葉が来た。

 

 

 

 

 

 

「遺族を代表いたしましてお礼申し上げます。

 

本日はご多用の中、またお寒い中、
父のためにお運びいただき
誠にありがとうございます。

 

こうして皆様のお顔を拝見しますと
父は本当に多くの方に支えられ、

温かいご縁の中で生きてきたのだと
改めて感じております。

 

 

式場に飾られた遺影の写真は、
今から13年前、父が65歳のときに
撮影されたものです。

 

 

ゴルフのコンペで準優勝をした際の一枚で
心から楽しそうに笑っている表情が印象的でした。

 

 

いつも口を結び、
少し渋そうに写る父でしたが

この写真だけは本当に嬉しそうに
笑っていました。

 

 

努力が報われた瞬間をとらえた、
まさにゴルフが好きだった
父そのもののような写真だと思います。

 

 

 

父は昭和22年11月30日生まれました。

中学・高校と卓球に打ち込み、
高校時代には茨城県で
ランキング三位になるほどの腕前だったそうです。

 

練習に打ち込みすぎて
疲労骨折をしてしまうほど
熱中していたそうです。

 

 

 

順位よりも、どんなときも全力で取り組む
いかにも父らしい所は、
若い頃から変わらなかったのだと思います。

 

 

高校を卒業すると
祖父の理容室に入りました。

 

 

様々な先生のもとへ学びに通い、
技術を磨く日々。

 

 

研究グループで技を磨き
仲間と切磋琢磨しながら
全国大会に十三回出場したそうです。

 

 

選手を引退してからは
後進の指導に力を注ぎ、

 

専門学校や講習会でも
多くの後輩を育てたようでした。

 

 

 

そんな父の趣味は釣りとゴルフでした。

 

 

 

釣りでは東北の渓流を巡り
五十歳を過ぎて始めたゴルフでは、

背中を痛めても痛み止めの注射を打ちながら
練習を続けるほどの情熱家でした。

 

 

 

決して上手なフォームではありませんでしたが
朝早くから庭で練習し、

仕事が終われば打ちっぱなしに通う姿は
本当に楽しそうでした。

 

 

その努力の積み重ねで
いつの間にかスコアも上げていったようです。

 

 

 

私が理容の道に入り、
共に働くようになってからは、
仕事の話をたくさんしました。

 

 

時にぶつかることもありましたが
今ではその一つ一つが宝物のような思い出です。

 

 

 

 

父からの教えは、たくさんありました。

 

一つ目は、
「判断に迷った時は、損をする方を選べ」
という教えです。

 

その言葉通り困っている人がいると
自分が損をしてでも手を差し伸べられる
優しい人でした。

 

 

二つ目は、
「嫌なことには逃げずに向かっていけ」
という教えです。

 

 

実際に病気になってからも
その言葉の通り、
逃げずに立ち向かう姿を見せてくれました。

 

 

治療にも、とても意欲的で
前を向いて治療に臨む父の姿は、
本当に強い人だと感じました。

 

 

 

父が亡くなる前に病室で2人っきりになって
父の手を握りながら気づきました。

 

 

 

「オレは、
この手で育ててもらったんだな」って。

 

 


「この1本1本の指で鋏を握りながら
家族を守ってきてくれたんだな」って。

 

 

 

私にも2人の息子がいます。

 

 

 

息子が生まれてから
ずっと目指していたカッコいい父親としての
理想像がありました。

 

 

それは

「コツコツ努力をできる男」

 

 

「何事にも向かっていく男」

 

 

「不恰好でもがむしゃらに頑張る男」

 

 

 

でもこれって全て父の姿そのものでした。

 

 

 

 

「あ〜オレが目指していた姿って
父そのものだったんだな〜」って。

 

 

初めて気づきました。

 

 

 

そして私は言いました。

 

 

 

「オレ、お父さんの子どもで良かったよ。

 

 

 

オレ、お父さんの子どもに生まれて良かったよ。

 

 

 

オレ、理容師になって良かったよ。」

 

 

 

 

ずっと言えなかったことを
最後に伝えることができました。

 

 

 

 


父は母に愛され

 

子どもや孫に愛され

 

 

地域のたくさんの方々に支えられた
幸せな人生だったと思います。

 

 

 

生前お世話になった皆様に
家族を代表して心より感謝申し上げます。

 

 

これからは残された家族で力を合わせ
父の教えを胸に歩んでまいります。

 

 

これからも変わらぬご厚情とご指導を
たまわりますようお願い申し上げます。

本日は誠にありがとうございました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初はスムーズにいけた。

 

 

 

 

会葬者のお顔を1人1人見れるほど
余裕があった。

 

 

 

 

 

早口になりすぎないように
話すことを意識して出来ていた。

 

 

 

 

父の遺影のこと。

 

 

父の学生時代の様子。

 

 

 

順調だった。

 

 

 

いける気がした。

 

 

 

次に話す内容は
父の趣味の話だ。

 

 

 

釣りとゴルフの話をする

 

 

 

 

 

はずだった・・・。

 

 

 

 

しかし、突然声が出なくなった。

 

 

 

 

趣味の話をしようと思った瞬間
父の笑った顔が目の前に降りてきたからだ。

 

 

 

 

急に声が出なくなった。

 

 

 

 

出そうと思っても
全然出ない。

 

 

 

 

今まで人前で話していて
言葉に詰まることは何度かあったが

それとは全く種類に違った
詰まりだった。

 

 

 

 

出さなくちゃ!

 

 

 

声を発しなければ!!

 

 

 

焦っているわけではないのに
出ない。。。

 

 

 

 

 

父が目の前にいるような錯覚をして
話ができなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

なんて情けない男なのだろう。

 

 

 

 

自分で自分が嫌になる。

 

 

 

一度目を閉じで
一呼吸をおく事にした。

 

 

 

 

でも出ない。。。

 

 

 

 

 

そしてようやく声が出た。

 

 

 

 

頬に温かいものが
つたってきた。

 

 

 

 

オレ、泣いているんだ。

 

 

 

 

自分でも気がつかなかった。

 

 

 

 

父から教わったことを
いくつか紹介した。

 

 

 

 

そして病室での父との会話を伝えた。

 

 

 

不格好でも良い。

 

 

 

みっともなくてもいい。

 

 

父と過ごした時間や
来てくれた方への感謝の気持ちを
言葉にした。

 

 

 

練習では6分間のあいさつだったが
本番は何分かかったのだろうか。

 

 

 

でも、父から教わった
嫌なことから逃げない。

 

 

父が見せてくれた
不格好でもいいから

がむしゃらにやり切ることを
オレも実行した。

 

 

 

 

あいさつを終えて
再び父の遺影を見た。

 

 

 

 

お父さん、やっぱり
オレ、泣いちゃったわ。

 

 

 

 

父はいつものように
笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父の病気が分かってからずっと
奇跡よ、起きてくれ!!

 

 

そう願ってきた。

 

 

 

 

父が亡くなり
奇跡は起きなかったか・・・。

 

 

 

と思ったが
それは違うのかもしれない。

 

 

 

 

 

父と母が出会ったことが奇跡。

 

 

そこに姉やオレが生まれたのが奇跡。

 

 

 

そこからたくさんの人に出逢ったのが奇跡。

 

 

 

 

すべては奇跡の連続だったのかもしれない。

 

 

 

 

だから・・・、

 

 

 

奇跡は起きていたんだ。

 

 

 

 

葬儀を終えた翌朝、
父の遺影に手を合わせながら
オレはそう想った。

 

 

 

 

 

令和7年12月31日

父  佐藤 一美  78歳にて永眠

 

 

 

まだ、父が亡くなった穴は大きく
元に戻るには時間がかかるかもしれませんが
少しずつ歩んでいこうと思います。

 

 

これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

長文にもかかわらず
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です