元日立北高の硬式野球部監督、根本喜幸さんおめでとうございます!
こんにちは、
茨城県北茨城市の
男性専門ヘアサロン
バーバーショップゲイン
佐藤 たかひこです。
今日のお話は
「懐かしいお顔!!」
まずはこちらをご覧ください。
↓↓↓
この記事で紹介されている根本さんというのが
私の高校時代の監督です。
今日はそんなお世話になった監督さんの
エピソードをご紹介したいと思います。
私の高校時代、先輩がベスト8をかけて
戦った水戸市民球場での土浦日大戦で
初回、日立北がホームランを打ち
8回裏まで1点差で勝っていましたが
8回裏に逆転され2対1で
負けた試合の後の話。
次の日、監督さんは審判をやるために
球場に向かっていた車の中で
ラジオの茨城放送を聴いていたそうです。
そのラジオの中で女性アナウンサーが
試合結果を伝えた後、
前日、水戸市民球場に行っていたと
話始めたそうです。
そしてその女性アナウンサーは昨日、
『水戸市民球場で感動した!』
と話したそうです。
その瞬間、
監督さんは自分たちの試合ではなく
前の試合の日立一高が
常総学院を破った試合だと思ったそうです。
しかし、その女性アナウンサーが感動したのは
その試合ではなく、
日立北が土浦日大に敗れた後
日立北高の監督さんが
選手たちから胴上げされていたということに
感動したと話していました。
勝って胴上げをされるというのは
見たことはあっても
負けて胴上げをされる監督なんて
そうはいないと思います。
それほど選手たちから想われていた
監督さん。
そんな風に選手から想われるような
監督さんの下で
3年間野球をやれたことが
私にとって最高の財産です。
私が日立北高校に進み、
迎えた入学式で
当時の校長先生はこう言いました。
『高校では、3つの出会いがある
一つは、良き師との出会い
二つ目は、良き友人との出会い
三つ目は、良き書物との出会い』
私はこの野球部で
良き師と良き友人に出逢えました。
そして・・・、
私はこの仕事に入り
27年の月日が流れました。
この仕事の楽しい所や
良い所もいっぱい経験してきました。
それ以上にイヤな所、キツイ所も
経験したつもりです。
そんな中でこれだけは言えます。
この日立北高校で監督さんの元で
野球をやっていなかったら・・・、
今の仕事を辞めていた。。。
15才から18才の時代に、
人生の土台を作るあの時代に、
監督さんの元で野球をやっていたおかげで
今日までこれました。
と・・・。。
そんな感謝の想いをこの記事を読みながら
湧いてきました。
監督さん!
育成功労賞おめでとうございます!!
それでは、また次回。